嫌われる勇気 人は怒りを捏造する 「自己受容」

 

文中では、青年が喫茶店で本を読んでいた時、店員から、一張羅にコーヒーを

掛けられ、カットなって大声で怒鳴ったという話から始まります。

この現象は、明らかにコーヒーを掛けられたという「原因」があっての

結果だと、青年は主張します。

 

哲人は、それが原因の結果というなら、

例えば、カットなって刃物で人を刺す事も、不可抗力とみなす事となると主張します。

そして青年はそれは、極論だと反論しますが、

哲人は、怒りにかられた行動が、すべて怒りのせいになると、当人の責任がなくなってしまうといいます

 

青年は、ではこの感情をどう説明するのだ、と問いますが、

哲人は、怒りという感情を「捏造」したと言うのです。

大声を出して、ウエイターを屈服させ、自分の言う事をきかせたかった

という「目的」の為に、「怒り」の感情を「捏造」したというのです。

そして、母と娘の喧嘩を例に出し、

家にかかってきた電話に出た怒っていた母親が、電話の相手が学校の先生とわかると、

いきなり丁寧な言葉にかわり、会話が終わった途端また、娘に怒鳴り始めた

という説をとなえ、「怒りとは、出し入れ可能な道具」であるといいます。

怒りとは、目的を達成する為の手段である。

そう哲人は言います。

怒りの感情とは、潜在的に持っている人と持っていない人がいます。

それは生まれつきとかではなく、

生育過程で、我慢多く、自由がなかった場合や、

いつもちょっかいを出してくる人に足しての、継続的な怒りの感情の積み重ねの事です。

積み重ねがない人も、カットなる事はあっても、

怒鳴る事や、怒りが収まらないという事は起こりません。

すぐに収める事が可能です。

もし思考で、このような怒りの感情をコントロールしようとしても、

それは結局我慢となり、積み重なると不安に移行します。

ですから、この話も「感情が消化された場合」=「自己受容」が出来た状態では、

コントロールが可能ですが、

そうでない場合は、アドラー心理学だからと言って、

思考で感情をコントロールする事は、別の問題が発生する可能性が高くなります。

「嫌われる勇気」では、全ての人が出来る訳ではない事を

「アドラー」はこのように言ってますと紹介する内容ですので、学ぶには良い本かも

しれませんが、これを実践すれば、誰でも思い通りになる事はあり得ないので、

しっかりと「こころの仕組み」を理解する事が必要と思います。


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