アドラー心理学である「嫌われる勇気」を「自己受容」の観点から1項目ずつ書評しております。
今日は「信用と信頼はなにが違うのか」という項目です。
長いページ数になりましたが、ここでは「他者信頼」が出てきます。
まず、「自己受容」には「肯定意的なあきらめ」という言葉が出てきます。
この言葉は中々使いにくいのですが、「あきらめ」は重要です。
「あきらかに観る」という意味の「あきらめ」です。
競争社会の世の中では、地位や名声が人の価値を決めるように映ります。
その価値を高めようと、多くの事を学んだり、資格を取っても、
その溝は決して埋まりません。
「自分」が「自分」の事を認めない限り、外に求めても、埋まらないのです。
そういう意味でも、「あきらめ」は大切です。
自分の立ち位置をあきらかに認めて、立ち行かない事も認める事が「ありのまま」となります。
これが出来る事が「自己受容」となります。
そして、「自己への執着」から「他者への関心」に切り替える必要があると書いてあります。
その上で絶対に欠かす事の出来ない事が、「他者信頼」・・・
ここでは、「信用」と「信頼」の違いを説いています。
「信用」とは、担保や能力などを前提とした関わりです。
「信頼」とは、無条件の関わりとなります。
なにがあっても、相手を信頼するという事です。
返してもらえない「お金」があっても、それを恨んだり、憎んだりしない。
そんな関わりが「信頼」です。
ここでは、「信頼」し続けるような事が書いてありますが、
そんな状態をいつまでも続ける訳には行きませんので、
相手を見極めるという行為は必要になります。
お付き合いするべき人でなければ、その関係を断ち切ります。
無視をするという事ではありませんし、感情的に嫌う事でもありません。
距離を置きます。
「信頼」から「信用」に切り替える事も必要です。
「信頼」を得られなかった原因は相手にあります。
そこにはこちら側は、介入できませんから、
切り離すという作業は必要になります。
「自己受容」が出来れば、相手に不安や心配をする必要もなくなります。
なぜなら、「相手の問題」だからです。
私の良く言う言葉です。
「不安は事が起ってから考えよう」
起った時はすでに前向きに考えなければいけない状態なはずです・・・
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