青年は、「自分の事が大嫌いです」と言っております。
そして、哲人は「自分がこの私である事を受け入れている」と言います。
青年はYさんになりたいけれども、
そうはなれないと思っています。
それはあり得ないし、気質性格の違いであるから無理だと思っており、
そして、青年は幸せではないようです。
哲人は、もしも幸せでないのであれば、
「このまま」でいいはずがない、立ち止まらず、一歩前に進まないといけません。
そして哲人は、アドラーの言葉を引用して
「大切なのは、なにが与えられているかでなく、与えられたものをどう使うかです」
気質や性格などの持って生まれたものに、差別をつけるのではなく、
その持って来たものをどう使うかに注目しろと言っております。
確かに、このように僕はもう育ったから、今こうなんだ。
という考え方の方はいると思います。
いつだったか、「青天の霹靂」という映画をみました。
母親のいない家庭に育った、大泉洋さん(演者)が、
自分の家庭や自分に不満があり、ふてくされていたが、
何時の日か、過去にタイムスリップし、
母が、自分を生む為に亡くなった事を見ました。
父親には、母親に逃げられたと聞いていたのに、
事実は違いました。
その後彼は飛躍します。
話は変わりますが、大泉洋さんて、まさに「ありのまま」ですよね。
だから人気が出るのだと思います。
まぁ、この映画のように、簡単ではないと思いますが、
苦労された方は、人が経験しないような、貴重な体験をしているものです。
その経験を他者に活かしたり、職にいかしたりする事が、
「与えられたものをどう使うか」という答えになると思います。
なかなか一人では、このような考え方にはならないと思いますが、
人が変わる時とは、現実の見え方が変わった時です。
ただ、多くは試練の起ったあと、例えば「失恋」とか「転職」
「親が亡くなる」とか、「事業に失敗する」とか
このような変化の時に、捉え方が変わったり致します。
人は、変わろうと思った瞬間から、思ったように変わって行きます。
諦めていたら、決して変わりません。
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