報告4<禅・こころの合宿>

 

白隠禅師の講義は、坐禅が大切で、一度止まって観るという作業が

必要な事が見えてきました。

 

講義を終え、坐禅に入ります。

広間のテーブルを寄せて、各自坐ります。

 

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和尚さんに坐り方の基本などを教えていただき、坐禅を組みます。

初めての体験の方も多く、戸惑う事を聞きながら、

1回25分の坐禅を開始しました。

25分という時間は、ちょうど足のしびれが来るか来ないかの時間です。

長いと感じる人もいれば、あっという間だったという人もおります。

 

チーンと金がなり、始まりました。

 

辺りが静まっているので、

大勢人がいるのに、気配が消えます。

集中という状態を感じられると、気持ちが良くもなります。

 

こんなにも、黙って動かない時間を、いつ過ごしただろうか、

そんな集中する時間となります。

坐禅は目を開けて行います。

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目先の1.5メートルくらい先をぼんやり眺めます。

人によっては、床がゆがんで来たり、模様が見えたりという

幻覚が訪れる人もいるのです。

それを、騒ぐでもなく、話すでもなく、

呼吸に集中します。

25分経つと、また金がチーンとなります。

坐禅終了の合図です。

足は、やはり痛いです。

5分の休憩のうちに痺れを取って、また次の坐禅が始まるのです。

ここで、禅問答の為の公案の発表がありました。

坐禅をしている時に、この公案の答えを探すのです。

公案は、

一人の僧が趙州和尚に問うた。
「狗子に還って仏性有りや無しや」(犬にも仏性があるでしょうか?)
趙州和尚は答えた。
「無」

趙州和尚は「無」と答えた、これはどういう意味かという問いです。

一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう
生きとし生けるものは,すべて仏陀になる可能性 (仏性) をもっており,すべて悟りうるという仏教の思想。

所説ありますが、この教えをそのまま、鵜呑みにすると、「犬にも仏性がある」と、いう答えが本当に思います、

でも、趙州和尚は「無」と答えた、これはどんな意味なのか?という問いです。

皆様も考えてみてください。

「無」の意味ですね。

2回目以降このような答えを求めて坐ります。

 

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