報告10<禅・こころの合宿>

 

「禅・こころの合宿」が無事に終了いたしまして、

報告の10回目になりました。

今日は、師である、金嶽和尚のお話をしたいと思います。

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金嶽和尚は、12才の時に京都の大徳寺に出家されたそうです。

理由は、父親が学校の校長であった為、

教師の息子ともなると、勉強ができて当然と思われるらしく、

勉強が好きではなかった和尚は、

どこかに、不満を感じていたそうです。

ある時、学校の教師が、あるまじき行為をしているのを目撃し、

教師で人は救えないと思った事が出家のきっかけという事です。

 

そして、たまたま「一休さん」の本を読んだ時、

「悟りは学問ではない」と書いてあり、直観的に

これだ!!

と、思ったらしいです。

 

 

そして、12才で小僧生活を始め、

雲水修行の末、今にいたるという事です。

途中、師の言葉に、今の坊さんは、大学くらい出るのが普通だと言われ、

「話が違うじゃないか」と思ったようです。

高校生のくらいの時に、そん理由から寺を飛び出そうと思っていた所、

ある観光客に、あなたは「山本玄峰」さんのようなお坊さんになって欲しいといわれたそうです。

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山本玄峰さんとは

和歌山県の温泉場で捨て子となって発見され、結婚して、これからだという時に、目が見えなくなり、それを直す為に四国八十八か所巡りを7回やったところで、雪蹊寺の門前で行き倒れとなり、山本太玄和尚に助けられ寺に入門し、雪蹊寺の住職となったという方です。

そして、戦時中の日本のかじ取りをするまでになり、終戦の詔勅にある「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」の文言を進言したり、天皇を国家の「象徴」と定義する(象徴天皇制)ようなどの発案をしたという事です。

このお話を聞いた、金嶽和尚は、現代に目が見えず、学校も行っていない立派なお和尚さんがいたと知り、迷わずこの道を進んだという事です。

そして金嶽和尚は言います。

この道に入るなら、宗派のトップや官長レベルまでに上り詰めるべきかと考えた、

イヤ、それだと現代の出世と変わらず、

自分の求めた道ではないと思います。

過去にトップに立った和尚は、本館にいなかったそうです。

世間の中で悩んだり、苦しんだりしている人の中で生きて行く事が、自分の役目だと感じ、現在に繋がっているという事です。

なんと素晴らしいのでしょう!!

感動します。

最後に金嶽和尚は、自分のスタイルを突き詰める事だと言っております。

まさにこれがブレナイ「自己受容」の本質、「悟り」の境地なのだと思いました。

 

 

本当に素晴らしい和尚さんに、師についていただき、光栄でした。

わざわざ、山中湖まで足を運んでいただき、感謝でいっぱいです。

12月18日の「忘年会&こころのセミナー」でも、

金嶽和尚とメイミさんをお呼びしております。

是非この機会に足を運んでいただき、「自己受容」を深めていただけたらと思います。

なお、第2回「禅・こころの合宿」を春頃に予定しておりますので、是非チェックしてください!!

今回は、開催までに「坐禅体験会」を予定しておりますので、どうぞご参加ください。

 


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