「ごめんなさい」と謝れる「こころ」とは、
どんな状態でしょうか?
あきらかに自分が間違えたり、悪い事をした時に、
「ごめんなさい」と言える事は、そんなに難しい事ではないかもしれません。
しかし、理不尽にキレられたり、怒られたりした時は、
「こころ」からゴメンなさい
とは、言えないかもしれません。
相手が、女性であれ、男性であれ、
イライラした気持ちをつい、他者にぶつけてしまう場合があります。
決してこちら側が悪い訳ではなくても、
相手は、その気持ちをぶつけてきて、理不尽にも、こちらが悪いと言わんばかりに攻め立ててきます。
相手のその怒りや、イライラは、何者でしょうか?
相手自身が自分の不甲斐なさに飽きれた怒りかもしれません。
それなら、なおさらこちらが謝る事は、したくないと思います。
では、そんな相手は、どんな思いなのでしょうか??
答え
自分がこんな思いをしたという事をわかってもらいたいのです。
その想いが、自分の事であれ、相手の事であれ、
誰かにわかってもらえれば、収まる事があります。
そんな時は、「相手の気持ちに立って」
その気持ちわかったよ、
という意味で、
「ごめんね」または、「ごめんなさい」
と言ってみてください。
受け入れてもらえたと思ったら、
相手の怒りは即収まります。
更に攻撃してくる事はないでしょう。
更に攻撃してくると言う時は、それに反発した時です。
人はつい自分を中心に、自分を守る方向で、物事を捉えます。
すると、理不尽な事には、こちらも反応し争いになります。
相手も、自分が傷を負うのが嫌なので、
他人を悪ものにして、自分を守ります。
しかし、ここでこちら側が、相手の境地を受け入れたという意味の「ごめんね」が言えると、
互いに冷静になって考えられるようになります。
つらいんだね、わかったよ。
こんな意味です。
(決してわかったふりで言ってもダメですよ、それこそ相手が図に乗ります。)
これは、相手の境地に自分の意識が到達した状態でないと、なかなか言えません。
ここにまた「自己受容」の大切さが出てきます。
自分の気持ちも、感情をも、一旦隣に置いて、相手の立場で考えてみる事
これが難しいのです。
自分も相手も、客観的に見れるようになりますと、
そのような状態が見えてきます。
まず、「自己受容」
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