坐禅をするお坊さんは、「悟り」を目的とするそうです。
「悟り」とは、自分のこころを掌握する事です。
と、広尾「香林院」住職 金嶽宗信先生は言います。
坐禅をするという事は、「己事究明」(こじきゅうめい)と言います。
「己事究明」とは、己の事を明らかに極めていくという事、
それによって、自分の事を客観視できるようになる世界といいます。
これは、「自己受容」との共通項が非常に多くあります。
こちらの動画をどうぞ
「自己受容」とは、良い自分もダメな自分もありのままを受け入れる事。
それは良いも悪いも、ありのままの自分を受け入れる境地となります。
すると、他者の行いも許せるようになります。
イライラする事がなくなるのです。
これは、自己や他者を客観的に観ている状況と同じになります。
こころが落ち着いた状態になると、焦る気持ちが無くなります。
すると余裕が出てきますよね。
この余裕が大切なのです。
一度止まって、自分のこころを掌握する。
この余裕を作る事によって、自分が見えてきます。
「頑張り過ぎだったかな?」
「この先どうしたいのか?」
「まぁいいか」
「なんとかなる」
こんな言葉を挟む事によって、次の目標が、ふと浮かんでくるものなのです。
ですから、頑張っている自分を認めて、一旦止まって見つめてみる。
これは、坐禅の取組みとして行っても良いですし、
「自己受容」の実践として、やってみるのも良い事です。
両方出来たら最適ですね。
そんな合宿がこちらです。
http://p.yourtalk.net/self/
コメント