教義とか信仰とか

教義とは、宗教上の信仰内容が真理的におしえとなった部分と思います。

これを、幼少期から頭に叩きこまれたら、何が生まれるか?
人の道を歩む上では、とても優秀な人間になって暮らせる事と思います。

ただし、全人類が同じ教義で学べばの話です。

宗教によって、少しでもその教えが違ったり、捉え方が違ったり、誰が言ったかによっては、間違いなく争いになります。

人は自分が正しいと思っている事を他人がしていれば、何も問題ありませんが、違った事をしていた場合、たちまちその相手が悪になります。

これは、誰もが起こる事で、国と国のマナーの違いでも起こり得る事です。

「自己受容」は、いわばすべての事を受け入れられる状態です。すべてがそのようになれれば、この世に争いなど起こらなくなります。

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