信用

 

信用していたのに・・・・

裏切られた・・・

また・・・

まさかあの人が・・・

よくある話ですが、そもそも人の事を信用するという概念は成立するのでしょうか?

「武士道」的に言いますと、「口に出した事は、命を懸けても守る」という互いの強い絆がありました。

 

しかし、軍(イクサ)となれば、「関ケ原の合戦」を見ても、「寝返った」なんていう出来事がある訳ですから、それが裏切りなのかと言えば、強い方に付くという精神が当り前だった、なん言う説もあります。

どうなんでしょうか?

 

「口に出した事は・・・」と硬い事を言いつつも、

大切な戦いのなかでも、このような曖昧な「信用」を頼りに命を掛ける訳ですから、

普遍で曖昧な相手という存在を「信じる」という境地は、机上の空論かもしれません。

「信じたから大丈夫」という「おまじない」は、自分を安心させる為の気休め程度なのかもしれません。

ですから、例え相手を「信じた」としても、それが、間違った時は、相手を攻めるよりも、

信じた自分に反省するしかないかもしれませんね。

 

これは、「親友」という概念も同じかもしれません。

一人では生きていけない人間ですから、

このような硬い絆をいつも求めているのかもしれません。

 

 

このように、割り切る事も「自己受容」が出来てならではの境地かもしれません。

自己受容/実践トレーニング

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントを残す

目次