報告2<禅・こころの合宿>

 

今回の坐禅は、山梨県山中湖のペンション遊飛人(ヒューマン)で行われました。

坐禅会場としての施設を予約しておりましたが、

人数が少なかった為に、ペンション内で行う事になりました。

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こちらがオーナーさん茂出木さん

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まだ20代の若者です。

狩猟もするそうで、鹿肉の料理とかを振る舞うそうです。

食事会場をそのまま、ワーク会場や坐禅会場にさせていただきまして、

色々とお世話になりました。

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こちらが、夕食のステーキ!! 牛ですよ

ソースがさっぱりと美味しくいただきました。

ご飯も五穀米と気を使っております。

こちらが、朝食のパンケーキ

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チーズソースが美味しく、ボリュームもたっぷりでした。

室内は、ストーブを付けていただいておりましたが、

日中は暑いくらいの気候でした。

オリエンテーションから、

今回の合宿の目的や感想などを記入してもらい、はじまりました。

まずは、坐禅の理解を深める為に、「坐禅入門」として白隠禅師という和尚さんの示した歌の解説をしていただきました。

日本語のお経となっておりますが、このお経が中々深いのです。

 

「坐禅和讃」

衆生(しゅじゃう)本來佛なり
水と氷のごとくにて
水をはなれて氷なく
衆生の外に佛なし
衆生近きを不知(しらず)して
遠く求(もとむ)るはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て
渇(かつ)を叫(さけぶ)がごとくなり
長者の家の子となりて
貧里に迷ふに異ならず
六趣輪廻(ろくしゆりんね)の因縁は
己(おのれ)が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏(ふみ)そへて
いつか生死(しやうじ)をはなるべき
夫(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禪定(ぜんじやう)は
稱歎(しようたん)するに餘(あま)りあり
布施や持戒の諸波羅蜜(しよはらみつ)
念佛懺悔修行等(とう)
其(その)品多き諸善行(しよぜんぎやう)
皆この中(うち)に歸するなり
一座の功をなす人も
積(つみ)し無量の罪ほろぶ
惡趣いづくにありぬべき
淨土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を
一たび耳にふるる時
さんたん隨喜(ずゐき)する人は
福を得(う)る事限りなし
いはんや自(みづか)ら回向して
直(ぢき)に自性(じしやう)を證すれば
自性即ち無性(むしやう)にて
すでに戯論(けろん)を離れたり
因果一如(いちによ)の門ひらけ
無二無三の道直(なほ)し
無相(むさう)の相(さう)を相として
行(ゆく)も歸るも餘所(よそ)ならず
無念の念を念として
謠(うた)ふも舞ふも法(のり)の聲
三昧(ざんまい)無碍(むげ)の空ひろく
四智(しち)圓明(ゑんみやう)の月さえん
此時何をか求むべき
寂滅(じやくめつ)現前するゆへに
當所即ち蓮華國(れんげこく)
此身(このみ)即ち佛なり

この歌の一つ一つを解説していただきました。

一部紹介いたしますと、

「水と氷のごとくにて」

水と氷は、同じものです、しかし、水は流れて、氷は固まります。

もし、悩み事一つ、水のように流せれば、問題の解決になるかもしれません。

しかし、氷のように、固まってしまえば、それがやがて、相手を攻める事につがったり、

挙句の果てに、犯罪につながる事もあるかもしれない。

本来同じものでも、捉え方で変わるものであります。

「衆生の外に佛なし」

私たちの中にも、仏が宿っているにもかかわらず、

「遠く求(もとむ)るはかなさよ」

外に答えを求めてしまいます。

「譬(たとへ)ば水の中に居て
渇(かつ)を叫(さけぶ)がごとくなり」

水の中にいて、水が欲しい水がないと言っているのと同じ事です。

 

 

長くなりそうなので、この続きはまた明日。

 

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