嫌われる勇気 「普通であることの勇気 」 「自己受容」

 

アドラー心理学である「嫌われる勇気」を「自己受容」の観点から1項目ずつ書評しております。

今日は「普通であることの勇気」という項目です。

「自己受容」の第1歩「普通であること」

「普通であること」と「無能であること」はちがいます。

普通であることはダメなことではないのです。

しかし、この普通であるという言葉がまた厄介です。

人の個性により、明らかに普通でない人はおります。

敏感で、他者の念をまともに受けてしまう人と、

まったく受けない人では、その振る舞いがおのずと変わってきます。

自分になくて、相手にあるもの、相手にあって、自分にないものは、

やっぱり普通であるとは思えくなります。

だからと言って、それがダメとは思わなくて良いですが、

やっぱり親としては、我が子には、皆と同じになってもらいたいと願います。

この「皆と一緒」が厄介になるのです。

日本の文化でもあるこの周りに合わせる風習ですが、

一見横のつながりに見えるのですが、

そこに競争や、妬み嫉妬みたいなものが生じますから、

平和的になりません。

ここに「共同体感覚」が芽生えれば、人類は平和に過ごせます。

この次の時代はこのような「共同体感覚」を実践していくのかもしれません。

それには、1つ条件がああります。

人類共通の敵が出てくるはずです・・・

宇宙人かな??


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