嫌われる勇気 言い訳としての劣等コンプレックス 「自己受容」

 

アドラー心理学である「嫌われる勇気」の1項目ずつ書評しております。

今日は、「言い訳としての劣等コンプレックス」についてです。

劣等感と、劣等コンプレックスの違いを語っている場面です。

劣等感とは、それがある事で、飛躍につながる事があるので、

劣等感がある事は、悪い事ではないとあります。

一方その劣等感を理由に、「自分なんてどうせ」とか「どうせ頑張った所で」、

というように、ネガティブに使う事を「劣等コンプレックス」という言い方で示しています。

 

そして、コンプレックスという言葉も、劣等感とは違うと語っています。

コンプレックスとは、複雑に絡みあった倒錯的な心理状態を表す表現がという事です。

倒錯的という言葉が難しいですが、調べると、常の状態に反した行動傾向,

特に社会に非難される性的に特異な行動傾向をさす。

性的倒錯ともいう。フェティシズム,サディズム,マゾヒズム,露出症

というようになっております。

ファザコンとか、マザコンなんていう使い方ですね。

これらは、劣等感とは関係がなく、

そのコンプレックスを理由に、自分をネガティブに見る事を

「劣等コンプレックス」という言葉で表現しております。

劣等感というものは、中々自分で解決する事ではありません。

しかし、必ずその劣等感という感情は、自分の主観であり、それにより

引き起こされている、精神的な状態であるならば、

その劣等感を客観的にみられるようになれば、

どうでも良くなる可能性があります。

著書では、その一歩を踏み出す勇気が必要という表現をしております。


 

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