嫌われる勇気 劣等感は、主観的な思い込み 「自己受容」

 

アドラー心理学である「嫌われる勇気」の1項目ずつ書評しております。

今日は、「劣等感は、主観的な思い込み」についてです。

まず、ここで説明されている事は、劣等感とはアドラーが最初に使った言葉だというこのようです。

劣等感は、主観的な思い込みという意味がわかりますでしょうか?

本人にとっては、劣等感であっても、その解釈を変えてしまえば、

まったく劣等感ではなくなってしまうという事です。

この劣等感とは、「客観的」な事実ではなく、「主観的」な解釈だと考えます。

 

自分が劣等感だと思い込んでしまったら、良い方向には捉えられません。

この主観の良い所は、「自分で自由に選択で出来る」事です。

 

そして、この劣等感に悩まされる理由は、他者との比較にあります。

子供の頃から、兄弟が比較されたり、

親戚で、競いあったりと、親を巻き込んでの競争社会に一つの原因はあります。

もし離れ小島で、一人で暮らしていたら、

自分は、背が高いのか、低いのか、男か女か? が、

まったくわからなくなります。

 

社会の常識に囚われ過ぎても同じです。

結婚できないと焦っても、そこには一生独身の道を歩む

なんで、選択は全くないかもしれません。

一生独身と決めてしまえば、もうそれは悩みではありません。

では、なぜそう考えられないのか?

友達は結婚ラッシュであったり、子供の話で持ち切りであったり、

実感に帰れば、何時結婚するのか?と、問われ・・・

これも、結局「人間関係」の問題です。

他者の目を気にしていたら、自分がわからなくなります。

そして、その結末は、決して良い方向には向きません。

自分の主観はいくらでも決められます。

すると、自分の人生も定められるようになり、

そして自分本位に出来る事が、自分を好きになる結果につながるのです。


 

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